名古屋の象徴である名古屋城に別れを告げ、市役所駅から地下鉄に乗車します。その入口は、いかにも名古屋城の最寄駅といった趣。和風の電気カバーには、さりげなく市営地下鉄の紋章が込められています。
市役所駅からその名も名城線に乗り、15分ほどで伝馬町(てんまちょう)駅に到着。ここから熱田神宮へと向かいます。とその前に、まずはお昼を食べる『あつた蓬莱軒』神宮店に立ち寄ります。
ここは言わずと知れた、名古屋名物ひつまぶしの元祖ともいわれる人気店。休日は混雑必至ですが、並んで待つのではなく名前を伝えると案内時間の目安を教えてくれるというスタイル。なので先に予約を入れ、熱田神宮にお参りして戻ってくるというコースがおすすめ。
蓬莱軒に予約を入れてひと安心したところで、熱田神宮にお参りを。鳥居を守るように茂る木々には、この時期ならではの瑞々しい緑が溢れています。
新緑に包まれ、まっすぐのびる参道。砂利を踏みしめつつゆっくりと歩けば、緑のまぶしさが自分の中へと吸収されていくよう。
清々しい気持ちに身を任せてふと見上げれば、幾重にも重なる木々の葉を透かす初夏の太陽。強い陽射しから人々を守ってくれているのか、それとも、天の恵みを余さず浴びようとしているのか。
一年で緑が一番勢いのある時季。そんな木々の中でも、ひときわ目立つ元気な巨木が。樹齢千年とも言われるこの大楠は、その重ねた年輪を感じさせないほど若々しい緑を青空へと茂らせています。
快晴の青空と木々の緑に満たされたところで本宮へと到着。1900年以上の歴史を持つというこの神社の神様に、再び名古屋の地を訪れることができたお礼と、この先の旅の安全をお願いします。
どこを見ても緑一色に染まるゴールデンウィークの熱田神宮。余りの鮮やかさに目を細めて上を見やれば、本来茶色であるはずの木の幹も、苔が生え草が生え豊かな緑に包まれています。
溢れんばかりの生命力に覆われた、初夏の熱田神宮。その深い森を闊歩する雄鶏からは、威厳すら感じます。大都会の中、ここだけは頑なに守られ続けてきた神宮の森。神話などにも疎い僕ですが、この豊かさ自体に神々しさを感じてしまいます。
都市とお城と神宮と。名古屋の深い懐に触れたところで、味覚でも名古屋の深さを味わうことに。先ほど予約していた『あつた蓬莱軒』の順番が、いよいよ回ってきました。
席に着き、迷まず頼むひつまぶし。ついでに冷えたビールと、この鰻肝わさを。
独特な風味があるというイメージのうなぎの肝ですが、こちらのものは全く臭み無し。茹でられた肝はプリッとした食感と、じんわりとしたコクや旨味が印象的。わさびとしょう油でシンプルに、自信がなければ出せない逸品です。
コリ、ぷり、旨、の肝とビールを楽しんでいると、ついにお待ちかねのひつまぶしが到着。初めて食べて以来、その旨さを一刻も忘れることのできない、魅惑の味。
関東とは違い蒸さずにそのまま焼かれるうなぎは、見た目の通りの香ばしさとパリッと焼けた食感が心地良い。蒸していないので食感は強めですが、刻んであるので硬いと感じることはなく、皮も全然気になりません。
うなぎとご飯がたっぷりと入ったおひつに、しゃもじで十字に四分割。そのひとつをお茶碗によそい、まずはそのまま頂きます。蒸さずに焼いている分脂や旨味もしっかりと残り、身にまとったたれや焦げ目の香ばしさが堪りません。
続いては、ねぎやわさび、海苔といった薬味を載せて。こうすることでたれや香ばしさ、うなぎの脂と合わさり、もう口の中は美味しさ大洪水。相乗効果とは、まさにこのこと。
3杯目は、ひつまぶしならではの食べ方であるお茶漬けで。大きな急須でたっぷりと供されるおだしは、上品でありながら香り豊かなかつおだし。それを香ばしいうなぎに掛ければ・・・。もうこれ以上、語ることはありません。
そして最後は、自分の好きな食べ方で。僕はやっぱり薬味を載せたうなぎご飯がお気に入り。また次に名古屋に来るまで食べられない。悔いの無いよう、最後のひと粒まで心して味わいます。
子供の頃から、僕はうなぎが大好物。ご飯によく合う甘辛いものから、江戸前を感じさせるキリッとしたものまで、東京は本当にうなぎの美味しい街。もちろん調理法も最高で、蒸して焼いてと手間暇かけられたうなぎは、雲を食べるような至高の食感。
そんな環境で育ったので、二十代半ばまでは東京のうなぎが世界一旨いと信じていました。が、その想いを気持ちよく覆してくれたのが、この名古屋のひつまぶし。
オーバーなようですが、あつた蓬莱軒で初めてひつまぶしを食べた時の感動は忘れられない。そして3度目となった今回、しみじみ想う、やっぱり旨い。名古屋のひつまぶしは、僕の中で東京の蒲焼きと肩を並べる不動の同率一位なのです。
あぁ、この記事を書いているだけでよだれが・・・。いろいろ食べたいものがある名古屋めし。でもこの絶大なる関所は、避けて通ることなどできない。きっとまた食べてしまう、そんな予感というより確信に近いものを感じるのでした。
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