独特な退廃美を持つ旧手宮線を後にし、今度は観光地小樽としての表である小樽運河を目指すことに。途中には、国際貿易港として栄えた小樽の歴史を伝える、旧日本郵船小樽支店の重厚な建物が。
石造りの倉庫が並ぶ一角を歩いていると、思わず目に留まるレトロな消火栓。昭和レトロを売りにしている運河だから残されていたのかと思いきや、市街地のあちらこちらでいくつも発見。作られたレトロではなく、残されたレトロ。だからこそ、小樽は訪れる人を魅了するのでしょう。
先ほどから感じる潮の香り。その方向へと歩いてゆけば、小樽の代名詞ともいえる小樽運河の北端が。
この部分は、竣工当時の川幅をそのまま残した貴重な姿。日本で唯一海岸線の沖合を埋め立てて造られたというこの運河は、大正12年に完成したそう。増大する海運貨物の需要に応えるため、多くの艀が接岸できるようにと造られました。
その後交通の主役は自動車へと移り、渋滞解消のため1985年に運河の川幅半分を埋め立て道路へと転用。僕ら観光客の知っている小樽運河は、その改造後の姿。
通称北運河とも呼ばれるこの部分は、観光客の姿もまばらな静かな雰囲気。穏やかに流れる時間の中、古の小樽の姿に思いを馳せつつのんびりと歩きます。
潮風を感じつつ歩いていると、運河沿いに大きな建物が。中からは機械が動く気配が感じられ、どうやら何かの工場のよう。
近付いてみると、壁には北海製罐株式会社の文字が。水産物を缶詰にする際に使用する缶の製造のために建てられたこの工場は、昭和6年築だそう。直線で構成された整然とした機能美をもつ建物は、80年以上も現役で働き続けています。
稼働中の工場の活気を感じつつ歩く小樽運河。その先には大きな集魚灯を連ねる釣り船がたくさん係留されており、観光地化されていない言わば生の小樽運河そのものといった雰囲気。
船が係留されるエリアが途切れたかと思えば、そこには否応なしに目を引く巨大な倉庫が。ここも北海製罐の持ち物で、第3倉庫という建物だそう。
鉄筋コンクリートの壁に這う、錆色の階段やシューター。全て無機質なもので構成されているにもかかわらず、その姿からは無駄を一切排除しつつ効率を求めた結果の美しさすら感じてしまう。大正12年竣工だというこの倉庫、今でも現役だというのだからまた驚き。
あたりがにわかに賑やかになってくれば、小樽運河の所謂小樽運河らしい部分はすぐそこ。観光地としての運河と現役の水路を隔てるように架かる中央橋を超えようと道路に出れば、向かいにはこれまた目を引く立派な石蔵が。
屋根に立派なしゃちほこを頂くこの蔵は、明治26年に建てられた旧小樽倉庫のもの。重厚な石蔵に挟まれた煉瓦造りの洋館にもしゃちほこが載せられ、和洋折衷の独特な雰囲気を醸しだします。
そしてやってきた、小樽運河のハイライト部分。運河沿いには石に煉瓦、モルタルと、様々な材料で建てられた倉庫が連なり、静かな運河の水面がその姿を映します。
人で賑わう運河沿いを歩き、来た道を振り返ります。緩やかに弧を描く水路と、水辺に沿うように建つ重厚な倉庫群。川幅は半分に狭まりましたが、古くから栄えた港町のもつ風情がこれだけ残っただけでも奇跡的なのかもしれない。
漁業工業貿易の街、小樽。小樽運河を北から歩けば、その要素がぎゅっと凝縮されたかのような風情を感じられる。これまで何度か訪れた小樽運河ですが、端から歩いたのはこれが初めて。有名なこの部分だけを見るのはもったいない。初めて目にした小樽運河の全貌に、これまで以上に味わい深く感じます。
手宮線跡から折り返し、小樽運河の終点まで歩きっぱなし。喉もカラカラ、足も重たくなってきたので、ここらでちょっと小休止。運河沿いから目ざとく見つけていた『小樽ビール小樽倉庫No.1』へと入ります。
乾いた喉を地ビールで潤したかったのもありますが、何より味わいたかったのはこのロケーション。
午後の陽射しに煌めく運河を渡る川風に吹かれつつ、倉庫群の眺めをつまみに飲むドンケル。深い色同様濃厚なその味わいは、小樽の歴史の重みを感じつつ飲むのに相応しい旨さ。
あぁ、幸せだ。北の経済の中心地として栄えた小樽、それを支えてきた運河に面したテラスでビールが飲めるなんて。そうしみじみ味わっていると、横をゆく遊覧船のお客さんから「美味しいですか~!?」との問いかけが。
最高です!!思わず条件反射的にそう返答。これを最高と言わずに何を最高というのか。旅が好き、そして酒が好きで本当に良かった。深く焙煎された麦の香ばしさを喉に感じ、北海道へ来て大正解だったと深く深く思うのでした。
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