展望大浴場で今日一日の汗を流し、すっきり爽快な気分でデッキへと向かいます。出港まであと30分ちょっと。夕陽に染まる遊歩甲板では、多くの人がそれぞれの思いを抱きつつ沈む太陽を眺めています。
デッキで思い思いの過ごし方を愉しむ人々。僕もその中のひとりとなり、デッキの最後尾で立ち止まります。手には冷えた、スーパードライ。洋上での湯浴みという特別な贅沢を味わい、海風に吹かれつつ飲む湯上がりのビール。もうだめだ、出港前から幸せすぎる。離岸を間近に控え、心まで茜色に染めあげられるよう。
喉への冷たい刺激を感じつつ、ひたすらぼんやり眺める夕陽。早朝から存分に楽しんだ名古屋とも、もうすぐお別れ。北の大地への期待と共に少しばかりの切なさを感じるのは、船上というロケーションがそうさせるのだろうか。
暮れゆく空と共に、深まる旅情。どっぷりと船の持つ空気感に浸っていると、空気を震わす銅鑼の音が。出港15分前を知らせる銅鑼が鳴ると、当たりは俄かに騒がしくなりはじめます。
下部のデッキには甲板員が姿を現し、太いロープを巻きとるドラムの試操作をしている模様。足元では先ほどより一段階強くなったエンジンの唸りを感じ、いよいよ船全体が出港へと向けて動き出したことを知らせてくれる。
ふと見上げれば、巨大なファンネルから出る黒煙と、それに煙る宵の口の月。あぁ、本当に始まるんだ。十数年願い続けてきた船旅が、とうとう始まるんだ。そう思うだけで、脊椎反射のごとく目頭に熱いものが込み上げそうになる。
漏れ聞こえてくる無線の合図と共に、外される太いロープ。ドラムがそれを巻き上げたかと思えば、船は静かに名古屋港を離岸。
旅立ち、この言葉がこれ以上似合う場面はあるだろうか。船に宿る旅情とは、希望や切なさが混沌と渦巻く、かけがえのない唯一無二の素晴らしきもの。
10両編成の電車ほどの長さのある大型フェリー。その巨体とは裏腹に、離岸後器用にバックし海へと出る体勢を整えます。
巨大なフェリーは後進しつつ航路へと入り、これまた器用に方向転換。船首をぐるりと90度回せば、遠くには煌めく名古屋の街が。
響くエンジン音が大きくなったかと思えば、だんだんと遠ざかりゆく街の灯り。出港とは切っても切り離せない切なさを、今は存分に味わいます。
去りゆく名古屋の輝きに別れを告げ、デッキの左舷側へ。暮れゆく空の下、海原へと舵を切る船。広い甲板には、今この瞬間を味わおうとする人々の姿が。
僕はこのとき、本当に幸せを感じた。陸海空、すべての交通が発達した国、日本。そしてそれぞれの良さを十分に味わえる時代に生まれたこと。
効率や速さのために年々失われゆくものを思うと切なさが募りますが、古から連綿として紡がれてきた旅情は、今もこうして人々に受け継がれている。この光景を目の当たりにし、乗り物好き冥利に尽きると心底悦びを噛み締めます。
だんだんと増す速力と共に、月と港の灯りの存在感が際立ち始める宵の空。全身を撫でる海風とディーゼルの響きに身を任せれば、旅立ちから今までのことが夢か幻であったかのように感じてしまう。
船の持つ魔力にすっかりやられ、夢見心地で過ごす甲板でのひととき。頭上には、仲良く並ぶ赤い吊り橋と明るい月。名港トリトンと呼ばれる3つの大つり橋のひとつ、名港西大橋をくぐればまもなく伊勢湾へ。
いよいよ幕を開けた、2泊3日の船の旅。これから僕を襲う、目くるめくような幸せな時間。その予感を早くも察知し、期待と旅情で胸が押し潰されそうになるのでした。
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