中部、北海道、関西、中国。日本列島の半分をぐるりと回った旅ももうすぐ終わり。最後の目的地である四国に降りたった時の感慨は、筆舌に尽くしがたいほど大きなもの。
10年ぶりに目にする琴平駅。前回はレトロなネオンの駅名標がそれはそれでいい味を醸し出していましたが、久々に見てみると一層歴史を感じさせる渋い佇まいに。どうやら去年、大正時代の姿に復元されたのだそう。
大きな鳥居の出迎える駅前の通りを進むと、前回訪れた時には気付かなかった鳥居の姿が。奥に何やら目立つ建物があるので、早速中へと入ってみることに。
するとそこには、石垣の上に組まれた立派な木造の灯籠が。この高灯籠は、江戸時代に船からこんぴらさんを拝む際の目印として建てられたものだそう。木造としては日本一の高さを誇るようで、古くから集めてきたこんぴらさんの信仰の厚さを物語ります。
さすがはゴールデンウィーク、こんぴらさんへと繋がる道はどこも大賑わい。古き良き観光地の姿を残す神明筋を抜け、いよいよ金比羅山へとまっすぐのびる表参道筋へ。
いざ石段続くこんぴらさんへ!と、その前に、讃岐と言えばの名物で腹ごしらえ。参道でもひときわ目立つ歴史を感じさせる建物の『こんぴらうどん参道店』でお昼を食べることに。
この建物は、以前旅館として使われていたものだそう。築百数十年は経ているようで、国の登録有形文化財としても指定されています。業態は変われど、百年以上も参拝客をもてなし続けてきた建物。鈍い輝きを放つ太い木材からは、その歴史が滲み出てくるかのよう。
渋い建物に金陵のコップを傾けつつ待つことしばし、10年ぶりとなる本場讃岐うどんとご対面。今回は人気メニューだというしょうゆとり天うどんを注文。
大ぶりのとり天にたっぷり載せられた花かつお、奥に隠れるつやっつやの真っ白なうどんに、青みを添える西日本らしいねぎ。もうね、食べる前から分かるんです、絶対旨いって。写真ではその見た目しかお伝えできませんが、何より香りがそそるんです。
しょうゆうどんの名の通りつゆはなく、あらかじめ適量と思われる分量の黒いだし醤油が掛けられています。まずはそのしょう油をまとった麺をひと口。
噛んだ瞬間目を丸くし、飲み込む時にうっとりする旨さ。讃岐うどんはそのコシの強さで有名ですが、弾力やコシはしっかりあるのに、全く硬くない。変なアルデンテ状態ではなく、芯まで茹っているのに凄い歯ごたえがあるのです。
そして驚くのは喉越しの良さ。こんなに太くて弾力もあるのに、噛んで喉を通るときにはつるんと流れて入ってしまう。前回香川に来たときも驚いたのですが、本場の讃岐うどんは一本筋の通った美人なうどんといった印象。東京で10年掛けても巡り会えなかったべっぴんさんが、今ここにいるという幸せを噛み締めます。
うどん自体の旨さに人心地がついたところで、続いて大きなとり天を。かりっと、しかしふんわり感も感じさせる衣の奥には、しっかりとジューシーさを残した鶏肉が。噛めば天ぷらの程よいコクと共に、旨味たっぷりの肉汁が溢れ出します。
そしてそれらをまとめるだし醤油がまた絶品。見た目は黒いのに全く塩っ辛くなく、何とも言えぬ発酵食品ならではの旨味が舌の上へと広がります。
太いうどんはもっちもち、とり天も食べ応えのあるボリューム感。それなのに、気が付けばあっという間にペロッと完食。大盛りにしとけば良かったとすら思えてしまう、食後の心地よい名残惜しさを味わいます。
やっぱり讃岐は旨かった。うどんの余韻と適度な腹持ちを感じつつ、いよいよ長い石段へと挑みます。それにしても、ひと、人、ヒト。前回の程よい静けさはどこへやら。ここでも連休の威力を垣間見た気がします。
息を整えつつゆっくりと石段を登ってゆくと、途中にはその傾斜に寄り添うようにして建つ独特の建物が。灯明堂とよばれるこの建物は、160年以上も前に船の構造を利用して建てられたものだそう。
少しずつ上がる息を抑え、じわじわ登り大門に到着。ここから先は金刀比羅宮の神域。こんぴらさんの名物である駕籠屋さんも、ここから先へは入れません。自分の足で登ってこそのこんぴらさん参り、ということなのでしょう。
大門から先は神域であるため、これまで両側に並んでいたお土産屋さんの姿もありません。ですが、大門をくぐったすぐのところに5つの露店が。
ここで売られているのは、ゆずの風味がほんのりと漂うべっこう飴、加美代飴。薄く平たい飴を小さいとんかちで割って食べるという食べ方もまた印象的。
この露店は、五人百姓とよばれる昔から特別に神域内での営業を許可されてきた家系の方のお店。飴自体は下の参道のお店でも買えますが、せっかくならばこんぴらさんの境内でと思い、下るときににお土産として買って帰りました。
そんな5つのお店に見送られ、参道はいよいよ緑の懐へ。5月の鮮やかな緑が溢れる参道は、先ほどまでの喧騒もどこへやら。大門という形あるものだけではなく、神域と外界を隔てるなにかが、そこに横たわっているような気がしてなりません。
長く続く石段も一段落し、大きな平場に出ればそこが桜馬場。息が上がった参拝者はみな一様に立ち止まり、汗をかき苦しいながらも清々しいような表情を浮かべています。
桜馬場という名の通り、鳥居の左手には立派な御厩が。中には2頭の神馬がおり、その美しい姿で参拝者の目を楽しませてくれます。
この月琴号はひたすらお食事中。白い毛並みと銀色のたてがみ、そしてちらりと見せる穏やかな顔。白馬という呼び名がこれほどまでに相応しい馬を、初めて見たかもしれません。
その隣には、これまた目を引く金に輝く巨大なスクリューが。愛媛の造船会社である今治造船が奉納したもので、当時としては世界最大級のものだそう。
桜馬場での小休止を終え、再び石段へと挑みます。すると程なくして立派なお社に到着。こちらは旭社といい、御本宮ではないのでご注意を。ここで満足して帰ってしまうと、本当のこんぴらさんには出会えません。
見事な彫刻の施された旭社にお参りし、賢木門をくぐりさらに上の御本宮へと進みます。ここまで来ればあともうひと踏ん張り。僕は登った先のあの美しさを知っている。だからこうして、暑くても息が上がっても頑張れるのです。
賢木門の先へと進むと、最後にダメ押しで現れる長い石段。僕はここで、「えぇ?まだ登るの?もう無理だよ~。お参りしたし降りようよ~」と踵を返す人の姿をちらほら見かけました。
でも僕は声を大にして言いたい!これが本当に最後の石段。体調がすぐれないなら仕方がありませんが、せっかくここまで登ってきて帰ってしまうのはもったいなさすぎる。これが本当に最後。だから登ろう、絶対に!!
あっついあっつい、息も苦しい・・・。ひーひー言いながら、ようやく最後の登りである御前四段坂へ。この石段を登り切れば、もう御本宮。最後の力を振り絞り、目の前に続く壁へと挑みます。
あぁ、ぐるじぃ・・・。体力、落ちたなぁ。そんな自分の変化を嘆きつつ、ついについにこんぴらさんの御本宮へと到着。よくもこんな山の上に建てたものだと感心するほどの立派なお社が、深い緑の中鎮座します。
何なのだろうか、この清々しさは。10年ぶりに再会したこんぴらさんは、初夏の太陽を背負い文字通り神々しく輝きます。息を整えたところでお参りを。10年間、色々ありすぎたけど、またこうしてお参りできた。ただただひたすらに、そのお礼を心の中で告げます。
久々のこんぴらさんへのご挨拶を終え、一路右手に位置する高台へ。10年前、生まれて初めて目にしたこの景色。胸のすくようなとは、こういうことなのか。その時の鮮明な感動が、より一層鮮やかさを増し今この目に映る。
どこまでも平たく広がる讃岐平野。そこには違和感すら感じさせる個性的な造形の讃岐富士がぽこんと聳え、奥には青く輝く瀬戸内海とそれを跨ぐ白き瀬戸大橋。
本当に良かった。ここまで登ってきて、本当に良かった。この展望のもたらす胸への衝動は、ここに立ち己の眼で見なければ決して感じ得ぬ不思議な力。五感の全てがいい意味でざわめきたつのを、爽快な眺めと共に心ゆくまで味わいます。
10年ひと昔。そう思えど、この景色は当時と全く変わらない。でもやはり、それはひと昔前の思い出。今こうして目に映る景色に想うことは、10年前とは全く違う。その変化を感じることができるのも、旅を趣味に持ち、同じ土地を再訪するという経験をもってこそ。
眼前に広がる壮大な讃岐の美観。10年ぶりにその感動を胸に上書きし、高台を離れます。長い長い廊下である南渡殿を横目に進む広い境内。足元からは踏まれる玉砂利の音が響き、その感触が足の裏に感じられるのもまた心地良い。
5月の太陽を浴びつつ玉砂利を踏みしめていると、柱と屋根だけの不思議な建物が。ここは絵馬殿といい、内部にはたくさんの絵馬が奉納されています。
古くから海上交通の守り神として信仰を集めるこんぴらさん。この絵馬殿に奉納された絵馬のほとんどが、船の安全を願ったもの。写真や絵のほか、立体的な彫刻やエンジンなどの部品の写真まで、航海の安全を願う人々の想いが様々な形で表されています。
今回の旅の動機は、久々のフェリー。抑えきれぬ欲求に誘われ出た旅は、奇しくもこうして航海の神様へと辿りつきました。
島国、そして山がちな国土を持つ日本。時として陸上を行く方が危険で、昔から交通の主役は船だった。その歴史と懐の深さに触れた、今回の船旅。その終盤において眺めるこの光景は、10年前には分からなかった人々の願いそのもの。神頼みまでして残し続けた海路は、栄光に満ちた航跡として今なお受け継がれています。
航海は浪漫。出掛けるつもりのなかった生まれて初めての黄金週間を、こんなに豊かな気持ちで過ごせたという幸せ。すべては船が、僕をここまで導いてくれました。
久々に味わうこんぴらさんの空気感を胸一杯に吸い込み、大きなお土産を胸に下山します。途中には、奉納されたマルキン醤油の黄色い一斗缶が。香川らしい、そしてこんぴらさんらしいお供え物。
そういえば、前回来たときにはまる金マークのお馬さんがいたような。そう探しながら歩いてきたのですが、結局行きに出会うことはできませんでした。
そう思いつつ帰路を進んでいると、ようやく見つけました、まる金輝く馬の銅像。こんぴらさんには至るところにこの丸金が掲げられ、これを目にすると否応なしに縁起の良さすら感じてしまうのだから不思議なもの。
帰りも続く、長い石段。それを進むごとに小さかった讃岐の平野は広さを増し、先ほどまでいた天空の世界が幻であったかのような錯覚が。
初夏の照りつける太陽と、その陽射しをやんわりと穏やかにしてくれる5月の緑。葉擦れを連れて頬を撫でる爽やかな風が、火照った体と心を静かに収めてくれるよう。
10年ぶりのこんぴらさん。登って得た感動は、そのときを遥かに上回る大きな宝物。そして確かに感じた、10年という年月の重さ。それは気持ち以上に、足腰心肺が重たく受け取っていたようです。
前回は早朝の新幹線で讃岐入りし、こんぴらさんを往復してから岡山まで自転車で向かったんだっけ。10年前の有り余る元気さに我ながら驚きつつ、やはりその年齢でしか味わえない旅の仕方が無限にあるのだということを強く実感するのでした。
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