高山祭の華やかさに触れ、櫻山八幡宮を後にします。想像以上にすっかり好きになってしまった高山の街とももうすぐお別れの時間。何となく駅方面を目指しつつ、気の向くままに歩きます。
飛騨高山の名物のひとつと言えば、数多くのお店が並ぶ朝市。朝市と言っても年中無休、早朝からお昼までやっているので、チェックアウト後でものんびり楽しむことができます。
そんな朝市のうちのひとつ、川沿いに延びる宮川朝市をぶらぶら。お店には美味しそうな野菜や漬物たちが数多く並び、旅の最終日だったら買って帰りたいと思うようなものが手招きしています。ただ、まだこの旅の道中は半ば。宅急便という選択肢もありますが、ここは後ろ髪を引かれる思いで諦めます。
昨日、今日と、どっぷり風情に浸かり愉しませてくれた古い街並みともしばしの別れ。飛騨の重厚で、独特な雰囲気を持つこの家並みを、今一度眼と心に焼き付けます。
大きな通り沿いを歩いていると、ひときわ目を引く立派な建物。近付いてみると、昨晩たっぷり楽しませてもらった久寿玉の蔵元でした。風情溢れる街を歩き、気になった酒蔵へふらっと。今度来るときには、高山祭と共にこんな楽しみ方もしてみたいものです。
昨日から降り続いた雨も気が付けば上がり、旧高山町役場の上にはうっすら青空が顔を覗かせていました。今回は梅雨らしい、しっとりと濡れた高山の街を味わいました。ぜひ今度は、抜けるような青空の下建ち並ぶ黒々とした家並みを眺めてみたい。きっと違う表情を見せてくれるはずです。
古くから続く、街の繁栄の歴史。飛騨地方の中心として栄えてきた高山の街には、新旧様々な世代のものが散りばめられていました。
飛騨の小京都と言われる飛騨高山。小京都と京都は似て非なるもの。ここ飛騨の地で育まれた唯一無二の街の佇まい、すっかり気に入ってしまいました。金沢のような華やかさのある街並みも大好き。そしてここ高山のように、渋く重厚さを感じる街並みもまた、大好き。
雨が止んで天気が回復し、急に上昇しだした気温に少々ばてながら駅を目指します。その途中、お昼を食べようとお目当てにしていたお店に到着。最後の高山グルメを楽しむこととします。民芸調の店構えが印象的な『寿々や』にお邪魔します。
早速料理を注文し来るまでの間、下呂市のお酒、天領でクールダウン。こちらも昨晩楽しんだお酒。
それにしても、飛騨のお酒も本当に美味しいもの揃い。これまで北日本や長野、北陸のお酒ばかり飲んでいたからか、僕にとって飛騨の地酒の印象は殆どありませんでした。あまり口にする機会が無かったのです。
そんな飛騨地方に入ってすでに3日目、色々なお酒を飲みましたが、どれも本当に美味しい。共通して感じる特徴は、水が柔らかく味が丸い、ということ。
きりっと辛口のお酒を好む僕ですが、飛騨のお酒の美味しさにすっかり虜になりました。僕の好みの新ジャンルを切り開いてくれた飛騨の酒に感謝、感謝です。
ちびちび愉しんでいると、お待ちかねの山菜定食が運ばれてきました。名前から想像していたのとは違い、思った以上、多彩なおかずの品々が並びます。うん、これ、冷酒頼んで大正解♪昼からご機嫌が約束されました。
きんぴらやわらびのお浸し、煮物、スパサラと言った定番の他に、珍しい白菜の酢のものやこも豆腐といった東京では珍しい食材も並びます。どれもそれぞれ違う味付けや調理法で、ちょっとずつ色々な味を楽しめるのも嬉しいところ。まさに飛騨の地の味を食べているという感覚です。
飛騨のそばやこも豆腐、白菜の酢のものが印象的でしたが、特に美味しかったのがなす味噌とお味噌汁。
朴葉味噌の旨さもそうですが、飛騨は味噌自体が抜群に美味しいのでしょうか。これまで食べたお味噌の風味の濃さは病みつきになってしまいそう。信州に並び僕の好きな味噌を見つけました。でもあんまりスーパーとかでは見ないんだよなぁ。
山菜定食という名前から、山菜尽くしの渋いものを想像していた僕。最初は印象が違ったので拍子抜けしましたが、どれも美味しく調理され、冷酒をおかわりしたい欲求を抑えるのに一苦労、大満足のお昼となりました。
風情溢れる街並みと、旨い酒と料理で楽しませてくれた高山とももうすぐお別れ。再び駅を目指し、残りの時間を味わうようにゆっくり、のんびり歩いてゆきます。
道沿いにひときわ目を引く立派なお寺が。奈良時代に各地に設けられた国分寺のひとつ、飛騨国分寺です。その入り口には、飛騨と言えばこれ、さるぼぼがたくさん並んでいます。そんなさるぼぼに誘われるように、境内へと進みます。
山門をくぐり目を上げると、そこには立派な鐘楼と大銀杏が。すぐにこちらのお寺が由緒あるものだと分かる存在感。大銀杏は推定樹齢1200年以上、鐘楼は天領となり取り壊された高山城から移築されたものだそう。
鐘楼門をくぐり、大きな枝葉を伸ばす大銀杏の先の本堂にお参りします。こちらの本堂は室町時代に建てられたものだそう。古い街並みや陣屋に加えてこのお寺まで、江戸時代やそれ以上前のものが当たり前に生活空間に残されていることに驚きます。
こちらの三重塔も江戸時代に建てられたもの。本堂と共に、長い間飛騨高山の街の変遷を眺めてきたことでしょう。
訪れる機会が無く、小さい頃の記憶だけが全てだった飛騨高山。これほどまでに味わい深く魅力的な街だとは、正直訪れるまで思ってもみませんでした。
飛騨国の中心として繁栄してきた高山は、今もなおその歴史深さと活気で、訪れる者を愉しませてくれます。僕ももちろんそんな旅人のひとり。高山への再訪の願いを胸に、しばしの別れを告げるのでした。
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